新潟縣護國神社(にいがたけんごこくじんじゃ)

  • 2011.02.28 Monday
  • 10:48


 
<神社名> 新潟縣護國神社


<御祭神> 戊辰戦争官軍死者四一六柱を始めとする新潟県ゆかりの御英霊七九七二柱


<鎮座地> 新潟市中央区西船見町字浜浦五九三二番地三〇〇


<例祭日> 五月八日・九月八日


<御由緒> 明治元年十月二十九日に新潟市常盤岡に招魂社を祀り、明治維新の際国事に殉難した英霊の慰霊祭を行った事に始まり、昭和十六年に七月現在地の鎮座地に新潟縣護國神社を創建する事が計画され、同十七年五月八日より昭和二十年五月に竣工される。


<電話・fax> 電話 025-229-4345
          fax 025-229-0554


金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)

  • 2011.02.25 Friday
  • 14:42
 
<神社名> 金刀比羅神社


<御祭神> 大物主大神


<鎮座地> 新潟県中央区寄合町四五七九


<御由緒> 文政四(一八二一)年、新潟湊で廻船問屋を営む鈴木五左ェ門の船「白山丸」が海上で暴風雨に遭い、船員一同讃岐国(現在の香川県)の金刀比羅宮に祈願した所、天空に白髪で手に金の御幣を持った白装束姿の老人が現れ、間もなく暴風雨は止んだが老人の姿は既になく、船には金の御幣が残されているのみだった。その御幣を御神体として祀り申し上げたのが当社の発祥である。


<例祭日>  五月十四、十五日  九月十四、十五日


<電話・fax>  電話 025-222-7591
           fax 025-222-7596


蒲原神社(かんばらじんじゃ)

  • 2011.02.23 Wednesday
  • 11:43
 
<神社名> 蒲原神社

<御祭神> 埴山姫命、水派廼女命、久々廼知命、金山彦之命、迦具土之命、天照大神、建御名方大神、日本武命、菅原道真命、椎根津彦命、畠山六郎命

<鎮座地>新潟県中央区長嶺町三−十八

<御由緒> 創立一二〇〇年以前と推定される由緒の古い蒲原郷の総鎮守であり、平安時代には越後唯一の港として、当時の阿賀野川河口に栄えた蒲原の津、郊外の金鉢山に鎮座し、日本海の青い海を望む景勝の地に位置していたので社名を青海社(おおみのやしろ)と言い延喜式の神名帳に記載されているのが前身であり、この青海社はその後、木、火、土、金、水の御祭神を祀っていたことからいつしか五社神社と呼ばれ公称となっていたが、昭和五十六年に蒲原神社と正式に改称した。

<特殊神事> 蒲原大祭 六月三〇日〜七月二日

<電話> 025-244-4541

<fax> 025-245-6929

春日神社 (かすがじんじゃ)

  • 2010.08.03 Tuesday
  • 22:02
  
<神社名>  春日神社


<御祭神>  天児屋根命・武甕槌命・経津主命・比売神


<鎮座地>  新潟県上越市本町一丁目6番22号


<例祭日>  五月四日


<御由緒>  天徳2年(958)当時の国府府内一般の鎮守の神として、蜂ケ峯(現 春日山)上に勧請された。貞治年間(足利時代1365年)、上杉憲永は越後の国を賜り蜂ケ峯に築城し当社を城内鎮護神として崇敬した。
 後に上杉謙信公在城するにおよび築城増築に際し、城の鬼門の守り神として蜂ケ峯の麓に移され、蜂ケ峯を神社名をとり春日山と称するようになり、城を春日山城と称するようになった。天保22年(1554)謙信公除地十八石を付与、および神輿を納めた。
 慶長12年(1607)4月、春日山城主堀忠俊は春日山城を廃し福島城(上越市港町 現 古城小学校)を築くや、城の守り神である春日神社も新城下の春日町(現 上越市春日新田)に移し勧請した。
 慶長19年(1614)、松平忠輝は福島城を廃し高田城(上越市本城町)を築城の際も、同じく新城下の竪春日町(ここ上越市本町1丁目)に当社を勧請した。
 明治5年、村社に列し、同7年2月さらに第八大区小五区の村社に列す。


<特殊神事> 御剱祭 南方登山 7月22日・23日


<電話・fax> 電話 025−523−5657
          fax  025−526−7438

神社(遠)圧縮 (1).jpg

新潟大神宮(にいがただいじんぐう)

  • 2010.07.12 Monday
  • 14:19

< 神社名 >   新潟大神宮



< 御祭神 >   天照皇大神 ・ 豊受大神 ( 八柱大神 )



< 鎮座地 >   新潟市中央区西大畑町5195番地



< 例祭日 >   五月十七日



< 御由緒 >   伊勢神宮に於いては、明治五年 神宮教院を起し全国枢要の地に本部を   設け御分霊を奉齋した。これに依り明治九年 神宮祭主の令旨により伊勢神宮の御分霊をここに御鎮座申しあげたのが当宮の元始発祥である。


< 電話・FAX > 025−224−4212


白山媛神社(しらやまひめじんじゃ)

  • 2010.05.30 Sunday
  • 12:23
<神社名>白山媛神社(しらやまひめじんじゃ)


<御祭神>菊理媛命・伊邪那美尊



<鎮座地>長岡市寺泊二ノ関二七六八番地



<例祭日>五月三日・四日


〈由緒〉 石川県にある白山比弯声劼諒霊を修験者が勧請されたのが始まりとされ古くから寺泊の産土神として信仰される。承久の乱(1221年)敗戦で順徳院が佐渡に流される時白山媛神社に参拝し宝器を奉納したという伝承や境内社の二面神杜の創建が明徳2年(1391)との伝承があることから鎌倉時代には既に鎮座していたと思われる。
※ 生命の親神・縁結びの神


〈電話・FAX〉025−875−412



白山媛神社

豊照稲荷神社

  • 2010.05.30 Sunday
  • 09:57
<神社名>     

豊照稲荷神社(とよてるいなりじんじゃ)


<御祭神>     

豊受姫命


<鎮座地>     

新潟市中央区東湊町通1の町2545番地


<例祭日>     

春季大祭   5月12・13日
秋季大祭   10月12・13日


<由緒> 
      
  文政12年(1829年)5月、越後国蒲原郡新潟湊の本間次右衛門の勧請により
「正一位稲荷大明神」安鎮の許可を受け、神社が建立される。
  嘉永4年(1851年)3月、「豊照稲荷大明神」の神号を賜る。
※「豊照小学校」は、「豊照稲荷」の称号を頂いたものである。


<連絡先>

025−223−5837


菅原神社(すがわらじんじゃ)

  • 2010.05.26 Wednesday
  • 15:16
<神社名>菅原神社(すがわらじんじゃ)



<御祭神>菅原道真




<鎮座地>新潟市中央区学校町通三番町五〇〇番地



<例祭日>五月二十四・二十五日 九月二十四・二十五日


〈由緒〉 菅原神社は創祀者並びに創立年月日は不詳なるも、棟札書写しによれば元治元年以前にの建立(寛政以前とも言われている)にして現在地の当時の住民百十八戸の産土神として奉斎し、明治二十年七月新潟市の市制施行に伴い、新潟市学校通三番町字西鳥屋野島となり学校町の総産土神として崇敬され、現在に至る。

〈電話〉社務所 025−233−5144 〈FAX〉025−247−3403
    宮司宅 025−247−3403

坂井神社<さかいじんじゃ>

  • 2010.05.24 Monday
  • 15:51
<神社名>坂井神社(さかい じんじゃ)

<御祭神>天照皇大神・豊受大神・大国主大神

<鎮座地>新潟市西区坂井砂山1丁目1番1号

<例祭日>八月二十五日・二十六日

<由緒> 坂井神社は、付近三ヵ村の部落に、一小祠を建て鎮座したのが始まりで寛永三年の頃、長岡藩主である牧野家より現在の内地が寄進され、当時の庄屋である梶原六郎左エ門に命を奉じ、工を督し社殿を建設いたしました。弘化四年(一八四七年)二月、暴風の為、社殿は大破壊し、翌、嘉永元年に再建以来補修改築を繰り返してきました。
 坂井輪地区は、昭和二十九年に新潟市と合併し、新潟市のベッドタウンとして住宅化が進む中、御社殿並びに境内整備を進め、平成四年に着工し、平成六年に竣工に至り、新たな御社殿になり、今のようになりました。当神社は、天照皇大神、豊受大神を御祭神とする神明社でしたが、嘉永元年に大国主大神が合祀され、稀にみる素晴ららしい三柱の御祭神となりました。

<電 話>025−269−2111 <FAX>025−268−4454

<ホームページ>http://www006.upp.so-net.ne.jp/sakaijinja/index.html

<その他>

金峯神社(きんぷじんじゃ)

  • 2010.01.29 Friday
  • 23:07
<神社名>金峯神社(きんぷ じんじゃ)

<御祭神>金山彦命(かなやまひこのみこと)他

<鎮座地>長岡市西蔵王二丁目六番十九号

<例祭日>七月十五日

<由 緒>
古代
和銅二年(709年)四月元明天皇の勅願により、北国鎮護のため大和国吉野(奈良県吉野)の蔵王権現を古志郡楡原(新潟県長岡市楡原 現在蔵王社鎮座)の地に勧請したのがその創建と伝えております。大伽藍を建立し、寺院数ヶ寺、修験者秋葉三尺坊を始め三十八坊僧徒・山伏修験者を数千人有する巨大な勢力で、その勢力は北陸から奥州まで及んだという。秋葉三尺坊はこのあと信州戸隠にて修業の後、遠州にて一大修験勢力を築いた(秋葉山本宮秋葉神社)。後に蒲原地方の豪族と戦い破れ、大伽藍寺院は焼失し、仏体を守護して三島郡矢田(新潟県長岡市矢田 現在神明神社合祀)に隠遁する。

中世
仁治三年(1242年)当時越後中越地方の中心として栄えていた又倉村(新潟県長岡市蔵王)の地の産土神又倉神社と合祀して神仏習合の祭祀となった。離散した信者は集まり、蔵王権現の信仰が増すにつれて又倉村の地名は次第に蔵王村へと変わる。南北朝時代には南朝北朝両軍の紛争の焦点となり、神社隣接の蔵王堂城の勢力は北朝に属すが、宗良親王は三島郡王番田(新潟県長岡市王番田)まで進駐し、交渉した結果南朝に入るが、再び北朝に入る。合戦後北朝方が越後全域を支配下に治めた。
上杉家領有の折、天台宗から真言宗になる。蔵王堂城主堀直竒公は平方原に城を移築した。これが長岡城であり、その際蔵王門前町を移住した。現在の長岡市の中心の始まりである。

近世
江戸時代に至り、天海僧正の強い要請により再び天台宗に変わり、寛永二年(1625年)東叡山寛永寺(東京都上野)が建立するとその附庸となった。またこの地を天領とし代官所を設け、当時「(長岡・三島・古志)八十ヶ町村の総氏神」、「越後中越地方の総鎮守」などと崇められた。三代将軍徳川家光公は特に崇敬厚く、御朱印地三百石・御簾を寄進され、また長岡城主牧野家は家督相続の折必ず参詣された。当時坊屋敷十三坊、社家六軒あった。

近代
明治維新に入り神仏分離の指令を受け、神祇と決し金峯神社(きんぷじんじゃ)・御祭神金山彦命と定め、新潟県最初の県社に列する。明治4年(1871年)大小区制が施行されると共に氏子の大半を分離される。明治四十年火災により社殿炎上するが、大正二年建立。昭和二十一年社格廃止される。平成十五年に火災により拝殿全焼し、翌十六年には中越大地震の大被害を受けるも平成十七年に拝殿竣工。平成二十一年御創建1300年祭を斎行する。

<電 話>0258(32)2337  <FAX>0258(36)7446

<ホームページ> http://www.kinpu.jp/

<その他>

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